ハイハイ…。

2002年6月13日
 最近、セガレはホフク前進するようにきてはいたんですが、今日ついに腰を上げて、ハイハイを始めました。まだ思い通りに動いてはいないようですが、また少し大人に近づいたような気がしました。

 ただ一日ご機嫌はナナメで、ヘビが威嚇するような声を出して騒いでいました。

 昨日あたりから、月末の引越しに向けた荷造りを始めたので、親の心理が落ち着かないのが分かるのかどうかは分かりませんが、寝る時間が不規則になってきていますし、朝までの間に何回か起きています。

育児って大変!

2002年6月4日
 今日は朝からセガレの面倒を見たがらなかったので、私が午後からセガレの相手をしていた。
 確かに私も毎日セガレの面倒を見ろといわれても音を上げるだろうし、日頃からセガレの面倒を妻に任せっぱなしであったので、そういう反省もあった。

 妻はバイクの慣らし運転をかねて、海のほうへ出かけていった。セガレは妻からの伝言どおり、午後になってくるとずっとぐずりっぱなしで、布団で寝かせても寝ないので、布団の上で動き回れるように周囲を掛け布団で囲んでおいた。
 はじめの30分はそれでもぐずっていたが、よほど疲れたのか、相当暑かったのだろう。心地いい風が入ってくるとすぐに寝た。

 そのうち妻が帰ってきて、子供と接することの大変さを説明すると、妻もストレス発散してきたので、気分よくせがれの面倒を見ていた。
 
 たまにはこういうのも大切だと実感した。

W杯2試合目。

2002年6月3日
 今日、当地では、メキシコークロアチア戦ということで試合があったのだが、1日の初戦程の注目もなく、地上波でのTV放送はないし、サポーターを見ても荒れた試合でもなく、落ちついた試合運びであった。
 
 今回クロアチアは、県内で合宿していたせいか、日本の観客の中にはクロアチアのユニホームを着ている人が多かったがクロアチア人は少なく、メキシコサポーターは、鳴り物を鳴らし、口々に「ラーラーラー」とか「メヒコ、メヒコ」と言って踊っていた。

 試合終了後、会場から駅まで向かったが、その間はシャトルバスと一般車両をきちんと分けられていた。サポーターもその日のうちに東京に帰るためか、シャトルバスに乗り込むのも早く、会場はすぐに静かになった。沿道にはコンビニの前に喫茶店やパラソルが出ていたが、客はなく、地元の経済効果はあまりなかったのかもしれない。

草野球

2002年6月2日
 職場の同僚が所属している野球チームのメンバーが足りないということで、今日そのチームに参加した。
 同僚の仲間が中心で、あとはうちの職場の仲間も4人ほど来ていた。それでもギリギリの人数だった。

 野球は3年ぶりで、スパイクも昨年捨てていたので、スパイクやらユニホームやら借りまくった。ちょっと小さかったかもしれない。キャッチボールをしただけで肩があがらないなど、不安もかなりあった。

 守備はレフトでフライは無難に取れたので問題なかったが、打撃のほうは四球、三振、投ゴロと全くいいところはなく、試合のほうも味方投手の乱調で負けたようだ。走塁でふくらはぎが張ったりして体もきつかった。試験が終わったら少しは体を鍛えないといけないとつくづく思った。

W杯始まる。

2002年6月1日
 いよいよ国内初戦のアイルランドーカメルーンの試合で、W杯も始まった。私は会場近くにいたのだが、あいにく試合を生で見ることができなかった。それでも歓声が聞こえるところにいたので、臨場感を少しは感じることができた。


 試合のほうは1−1で、幸先のよいスタートだったのではないかと思う。試合の後のアイルランドサポーターの陽気で団結力の強い応援が印象に残った。彼らは国旗の色に合わせた大きな帽子やアフロヘアーのカツラを付けて仮装行列か大道芸人かというような姿で会場方向に歩いていた。応援の一体感も強かった。日本人にはないサッカー観戦の意識だと思った。日本人はそういう中で俄かサポーターにでもなれる要素はあるが…。そういう意味で彼らの印象が変わっただけでも、国際交流が深められたのではないかと思う。

 フーリガンなどで厳しい対応をする意識があったが、このまま平穏にすばらしいW杯のまま終了することを願っている。

祖母の入院

2002年5月26日
 昨日、祖母が突然両親の家に連れてこられた。
 
 祖母は一人暮らしであったが、以前から痴呆が進行していて、そのうち面倒を見ないといけないというのは分かっていたのだが、先日民生委員から電話があり、いよいよどうにかしないといけなくなった。

 病院には通っていたが、最近は通う回数も減り、近所でも奇行が目立っていたようである。
 引き取るか、デイサービスを受けるか何らかの手段をしないといけないことは分かっていたが、「一人でいるから気を張っているのであって、家族といると自分で何でもしなくなりボケが進行する」とか、「(引き取る)家に来たがらないのだから放っておけばいい」ということで、先延ばししていたのである。


 病院で診察してもらったところ、すぐに入院の手続きが取られた。しかし本人は「早く帰りたい」と頻繁に言っている。

 しばらくは両親や家族を巻き込んだトラブルになりそうであるが、セガレをネタにしばらくは穏和に事態が進行することを願っている。

 今日、近くのスーパーに買い物に行ったところ、駐車場でいきなり「ドーン」という大きな音がした。そちらに振り向くと、普通乗用車がミニバンの脇に突っ込んでいた。

 「ああ事故だなあ、アクセルとブレーキ間違えたかな」と思っていると、今度は一気に吹かしてバックして、右ハンドルを切りながら、後ろにあったワゴン車に接触した。

 乗っていたのはベレー帽をかぶった60歳過ぎの老人。降りてあたりをキョロキョロして、今度は再び車に乗り込み、駐車場を出ていってしまった。
 「当て逃げ」だと思い、初めて110番に電話をして、現場でパトカーが着いてから、警察官に事情を説明した。

 状況を説明して、予定通りショッピングしていたが、私も妻もその時の状況を思い出しては興奮していたようだった。
 そして、逃げ出した車を止めることができれば、その場で全て片付いたのであるから、可能であれば車を止めればよかったと反省した。


 目前で事故を発見しても、とっさに動き出すことができず、状況を飲み込むことで精一杯になった。
 よく当事者同士で興奮していることがあり、冷静な警察官に突っかかることも見かけるものであるが、ああいう心理になるのは仕方がないのかもしれない。
 そういう興奮した人をよく落ち着かせることは重要だと今回の自分の経験から感じた。

髪の色

2002年5月22日
 今日、妻が美容院に行ってきた。私はその間、セガレを連れて河川敷を散歩してきた。ベビーカーに乗せている間は、夕日が当たったりして眩しそうで、眠たそうではあったがずっと起きていた。
 7ヶ月を過ぎ、セガレも自己主張ができるようになり、セガレの言いたいことも少しは分かるようになってきたと思う。


 1時間ほど歩いて自宅に戻ったところ、妻も美容院から帰って来たところであった。休暇中の特別バージョンということで、オレンジ色の髪になっていた。
 私も仕事に支障がなければ、そういう髪の色にしてみたいと思っていただけに、うらやましいと思った。

 秋には妻が仕事に復帰し、セガレの面倒を見てもらう必要があるので、実家の近くに引越ししなければならない。
 
 妻は、今年の頭から雑誌等を見て物件を探していたのであるが、そこにちょうどいい物件があったので、不動産屋に連絡して下見をした。

 2LDK、駐車場2台分確保、実家からは歩いて約5分、アパート裏には大型SCが来月オープン…。
 ということで、条件もいいので次のアパートが決まってしまった。

 物事が決まる時ってのは、こんなふうにトントン行くもんだと思った。

 ただ8月頃引越しをしようと思っていたが、そこまでは待てないということで、6月中旬から契約することになった。
 
 妻は下見をした部屋のイメージから、早速レイアウトやら家具の調達で頭がいっぱいのようである。

 私は、忙しい時期の引越しになるので、勉強も含めて全てうまくいくのか不安のほうが大きい。

よちよち・・・。

2002年5月17日
 今日はセガレがポリオの予防接種をするということで、近くの市の出張所に行ってきた。中には泣いている子供たちもいたが、うちのセガレは泣くこともなく、むしろ周りの子供たちを覗き込んで、興味津々の様子でした。

 ポリオ自体は、スポイトで飲ませる薬なので、注射と違い、泣くこともありませんでした。

 
 その後は、昼ごはん、そして買い物を終えて帰ってきました。
 セガレは腕が強くなってきているので、腕だけの力で動き回り始めました。
 ハイハイするのもまだなのですが、だんだん目が離せなくなってきました。
 今日は会社のレクレーション大会で、ゴルフに行ってきた。

 会場は会社から車で10分の小高い山に作られたゴルフ場で、山だけにアップダウンが大きいところだった。

 メンバーは私以下6人。皆さんベテラン揃い。私の仕事での相棒M君に勝つのが今日の目的。

 今日は風が10メートル以上吹いていて、皆さん苦労していたみたいだったが、私はまず1打目が真っすぐ上に飛んでくれることをただ祈っていた。
 おかげで1打目はまともに飛んでくれたし、6アイアンが飛んでくれたので、いつもよりまともなゴルフだったと思う。

 今日は課題のドライバーが方向はメチャクチャだったが、真っすぐ飛んでくれた。
 しかしバンカーショットやアプローチがいつもより調子が悪く、1箇所アリ地獄にはまってしまったところもあった。

 全体的には、前半はまだまともだったが、後半はガタガタになった。特に最後の2ホールはOB連発、アプローチも決まらず、ダラダラ終わってしまった。
 
 ちなみにOUT59、IN70、計129、これでも私のベストスコアタイでした。相棒M君には10打の差をつけ、圧勝でした。

 課題は、まともにドライバーが当たっても、OBは5箇所はあったし、方向が定まらないので、ドライバーの練習をしないといけない。
 また、アプローチはガタガタでした。

 また頑張ります。

 私はテレビでよく見る取材方法に疑問を感じている。それは多数の報道陣が追っかけて街頭などで質問をしている光景である。

 昔からよく見てきた光景ではあるが、個人の取材のため、何人もの記者、カメラが対象者の周りを取り囲み、質問を繰り返し、挙句の果てには記者の都合のいい部分だけを取り出して、それを「事実」として報道する。
 挙句の果てには、明快な回答をしない対象者に「国民に対する説明をなぜしないのですか!」など、国民の代表であることを強調してみたり、記者会見をしてもその後のコメントで「さらに謎が深まった」などと言って批判する。私はこういう光景を見てあきれている。

 昨日は外務省の佐藤という人が、メディアに囲まれていた。彼はその後逮捕されたが、その囲んでいた人たちが追及する権利はあるのだろうか?
 25?もやせ、真一文字に口をつぐみ、ただ前だけを向いて歩いている彼は、公然の晒し者であった。
 いろいろ問題があったのかもしれないが、彼の取り巻きにいた人たちにそういう目に遭わせる権利はあったのだろうか?
 取材するほうは「表現の自由」と言って権利を振りかざしているが、佐藤という人の人権はその時保障されていたのであろうか?
 
 メディアの匙加減で、世論はどうにでも変わると思うが、彼らにはその大きな力を扱う権利はあるのでしょうか?
 一つ言いたいのは、私はそういう人たちから「国民の○○」という言葉を聞きたくない。私はあなたたちに国民の代表として取材してくれとは頼むつもりもないからである。 

ザ、残業

2002年5月10日
 今日は、仕事が終わったあと、営業車の点検をしに整備工場まで行った。

 工場までは約1時間、10時30分ころ着いた。点検なので、1時間もあれば終わるのだろうと思って待っていた。

 しかし後から来た車が終わる一方で、うちの車は待てども終わらず、いよいよお昼になってしまった。

 すると担当整備士がやってきて「まだ終わらないので、ご飯でも食べてきてください、2時ころには終わります」

 ・・・。

 「そんなことが分かってるんなら、もっと早く言え!!!」・・・って思ったりもしたのですが、そんな顔を微塵も見せずに隣の建物の食堂へ・・・。

 ご飯を食べてまだ時間があるが、周りは遊ぶところもない。本屋ももちろんない。しばらく昼寝するしかなかった。
 雨が降りそうな険しい天気だったが、何とかもってくれて、その間久しぶりに野外で昼寝・・・。


 ようやく点検が終了し、車を引き取り会社に戻り、帰ろうとしたが、今度は客が応接室に入っていて、自分の荷物が出せない状態に・・・。

 どうやら5分前くらいから始まったとのことだったので、1時間くらいはかかることが確定・・・。

 仕方なく1時間待つ羽目に・・・。

 終了したところで、残業から開放された・・・。


 予定では、車の点検が午前中に終わりそれで帰れると思っていた。結局夕方まで家に帰れずじまい。 


 逆に夕方まで仕事があると思って、早く切りあがるってのはいいのだが、今日のようなパターンは、疲労が大きく感じる。

 まあ仕事のグチを言っても仕方ないが・・・。 

ボイスチャット

2002年5月9日
 昨日、パソコンショップに行って、マイクつきのヘッドホンを買ってきた。

 ボイスチャットというものに挑戦するためである。

 先日半年ぶりにyahooチャットを開いたところ、中から声が聞こえてきて、普通に会話していたのを見て?聞いて?私もやってみようと決心した。

 ソフトのダウンロードをして、端子を間違えないように接続すればOK。

 しかし、いざ始めてみると、チャットはやっぱりキーボードを打ち込むことで、「話す」ということには全く慣れていなかった。

 盛り上がっている部屋もあったが、雰囲気に溶け込めなかったので、使い方を覚えるためにボイチャ練習部屋に行くことにした。

 私のように、始めたばかりの人たちは、しゃべる前にどうしてもキーボードに頼ってしまうところがある。

 必死にしゃべってみたが、感想としては、まだ使い慣れるのには時間がかかりそうだと思ったけれども、一種の電話みたいなものだと思うと、面白いかもしれないと思った。

     
 仕事から帰ってきて、セガレ(もうすぐ7ヶ月)の相手をしていたんですが、今日はちゃんと座って、おもちゃで遊んでました。あんなに長時間自力で座っていたのは初めて見ました。たまに反り返りすぎて、背中のほうに倒れてしまうので、まだよく様子を見てないといけないんですけどね。

 そこで、今日は夕方からトイザラスに買い物に行って、子供用のいす(座るとブーブーなるやつ)と転倒防止のベルトを買ってきました。確かに安定して座っていられるので、親としては安心なグッズですが、子供としては、自由に動き回れないということで面白くないようでしたが・・・。

 最近セガレは朝起きるのが7時ころで、大変健康的な生活を送っております。
 離乳食も妻のおかげで順調のようだし、見ていて面白いですね、成長していく姿が。
 

GW最終日

2002年5月6日
 昨日の反省会の二日酔いが若干残ったまま、今日は仕事だったので出勤しました。ゴールデンウイークも関係ないのがわが社の宿命です。

 そういえば、昨日のレガッタなのか、その前の日のゴルフの練習なのか、腕の筋肉痛が段々効いてきました。
 今日は日中は平穏だったんですが、夜中に新しい患者が入ってきて、準備やら何やらで、夜間は落ち着きませんでした。

 休みの日は、平日と違って日がのんびり過ぎるので、いろいろ考え事をしてしまうのですが、塞ぎこんでしまうと気が滅入ってしまうので、いろいろコミュニケーションを求められたら応えてやるなど、自分なりに考えてやってます。

 自分を守るために拒絶する方法もあるのでしょうが、私は拒絶するということは、今度自分が意見を求めたいときに受け入れてもらえないし、人の間の溝は埋まらないのではないかと思います。
 私は声をかけて、立場と状況をよく考えて、話し相手になってます。但しTPOに応じて・・・。

 そんなことをしている間に、GWは終わってしまいました。また来年・・・。
 今日は子供の日だったのですが、昨年から、近くの川で川祭りをやっているので、そこに行ってます。そこで開かれているレガッタ大会に仲間に誘われて昨年から参加しているからです。

 今年は仕事が忙しくて3日の練習はできませんでしたが、ぶっつけで当日参加しました。

 レガッタはコックス(船頭)1人(今回は大会関係者)に漕ぎ手が4人で1チームです。上流から下流までの300mの間で勝負しました。ちなみにレガッタ界では300mはほんの助走程度なんだそうですが、我々素人としては大変長く感じます。

 今日は追い風が強く波がやや高めで、スタート地点にたどり着くまでに腕がパンパンになってました。しかしそこまでの間、練習をした結果、昨年練習したことを思い出すことができ、そのままスタートラインに立ちました。

 スタートラインには我がチームの他に2チームがいました。1チームはTシャツが揃えてあって強そうでした。
 そしてスタート。うちのチームはスタートダッシュがよく、快調なスタートでしたが、途中で私のオールが波に引っかかり、腹打ち(オールが抜けなくなって柄の部分がお腹に突き刺さって動けなくなってしまうこと)してしまい、大きく減速。しかしそこから驚異的な追い込みをして、3チーム中2位、しかも総合でも暫定で3位という好成績で終了した。仲間のもう1艇のほうには勝ち、結果待ちだったのですが、途中で強風のため競技が中止になり、そのまま参考タイムということで終わってしまいました。

 今年はよい結果だったので、来年も同じメンバーでやりたいと皆さん張り切ってました。まずはライバル艇に勝つことと、さらにタイムの更新を目指すということで、反省会では盛り上がっていました。

 川祭りの会場では、寄付された鯉のぼりが30組くらいたなびいていて、初めての節句を迎えたセガレも喜んで鯉のぼりを眺めていました。仲間たちもそろそろ子供ができ、昨年生まれたセガレの同級生も他に2人いました。全部で5世帯、子供は6人、みんな集まってレジャーシートでお話ししていました。子供の日に大変有意義な日だったと思います。来年以降も子供の日にはここに集まりたいなあと思ってます。

 

週末の結果

2002年5月4日
 今日はNHKマイルカップで、予想もしていたのですが、結局のところ、アグネスソニックから流すことにしました。はじめ馬番総流ししようと思ったんですが、予算が足りなく、8頭ほどピックアップして、さらに不安になったので、「ワイド」で流してみました。

 レースのほうは、アグネスソニックは出遅れたかと思うようなスロースタートでしたが、按上は横山典で、まるでオークスのローズバドを思い出すような展開でした。途中もハイペースで、「これは最後の直線で前が崩れて、後方からアグネスソニックが差すのには向いた展開だと思いました。最後はテレグノシスに追いつきませんでしたが、余裕を持って2着に入ってくれ、1着と3着にワイドがかかっていたので大当たりでした。
 
 しいていえば、馬連で買っていれば、もっと配当が高く付いたのが残念でしたが、当たったというのが私にとっては収穫でした。

 タニノギムレットは不利があったとはいえ、直線で本気を出して追い込んでいたので、次回も厳しいと思います。テレグノシスはダービーに出るようであれば、私は買います。トニービン産駒ということで。

行方不明事件。

2002年5月3日
 昨日、妻の実家に行ったら、セガレはニコニコして迎えてくれた。
 はしゃいでいる様子を見て、父母は、「2人揃えばいい顔するよね」とお手上げだった様子。
 オヤジの私が応援に行って面目は果たせたかなと思う。

 今朝、そこから会社に出勤しようと思ったら、靴下がないことに気がついた。確かに今日履くためにリュックに入れてきたはずなのに、肝心の靴下が見つからない。仕方なくお父さんに借りる(実質はもらう)ことにした。もうすぐ父の日だから、その時に新しいのを返そう・・・。

 全く恥ずかしい。私はそういうオッチョコチョイなところがあるのだが、妻の実家でこんなことになるなんて・・・。

 仕方ないので、借りて出勤した。通りがかりのコンビニに靴下は売っていた。そんなことなら、朝から大騒ぎしなければよかった。それにこの靴下、借りておいてバチが当たるけど、結構蒸れる。

 そして昼にけーたいのメールに妻から・・・。
 「靴下あったよ。テレビの脇に。ゴホンユビ」
 なんと靴下は持ってきてあった。ちょうど自分のリュックから落ちていたらしい。
 オッチョコチョイのうえに、あきらめるのも早いので、探し物は他の人に見てもらうと、簡単に見つかることが多い・・・。
 
 妻にはしばらく頭が上がらないなあ。

 明日は俺が料理しよう・・・。

近況と週末の予想

2002年5月2日
 今日はこれから妻の実家に行き、明日はそのまま出勤予定です。

 セガレの人見知りがひどそうで、せっかくじいちゃんばあちゃんに面倒を見てもらおうと思っていたのに、おそらく逆に負担が大きくなり、ストレスが溜まっているんじゃないかと心配なので、私が行って役に立つかわかりませんが、妻のフォローをしてあげたいと思っております。

 土曜日のNHKマイルカップは、タニノギムレットをどうするかが問題だと思いますが、私はレースが詰まっているので伸びないのではないかと心配しております。しかし按上が変わりましたので、連かワイドで買おうかなと思っております。

 他にはタイキリオン、カフェボストニアン、アグネスソニックあたりを、思い入れして流してみたい。

 最近さっぱり当たっていないので、今週も心配な感じです・・・。

 それでは出かけてきます。次にこのパソコンを開くのはあさってかな?
 じゃまた。

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